今という時代と、知的好奇刺激物と、自分の幹と。

タイトルは結構適当につけました。やっぱり文才は皆無です。

今という時代はとっても幸せ

この時代に生きていること。このことは、ソフトウェアエンジニアにとってはとっても恵まれていると思います。

すべてのことが新しく、人類がまだ経験していないことが多く、いろんな課題が横たわり、どんどん生まれていっている時代が今です。

私は、その課題に触れるだけでも楽しいし、知ることも楽しい。

でも、多すぎだろ

しかし、あまりにも知的好奇心を刺激することが多すぎて、あれもこれもと手を広げてしまう危険性があります。今日はRuby、明日はPython。明後日はTDD。などなど。

このように日々、興味をもつことが変わっていくってことは極端だけど、「ある勉強会でこれはいいという話を聞いたから手を付けてみよう」ということはよく聞く話。自分にも覚えがあります。

移り変わることの危険

ただそうやって興味を持ったことが、後々まで続いたり身についたりすることは皆無でした。その場の気分の盛り上がりで一時はが〜って何かやってみるんだけど、長続きしない。

いろんなことに興味を持ってそれに触れていると、将来的には点と点が線になって結びつくという話をよく聞きます。ですが、それにはしっかりとした幹があって初めて成立することかなと思ってます。

幹を作る

情報が多い中、「自分はこれを幹にする」というものを絞り込むのは怖い面があります。絞り込んだものが廃れたり、ある日突然なくなったり、主流でなくなったり。それでも、その怖さに打ち勝って自分の幹を見つけることが必要かと考えています。

見直し

ただ、絞り込んだものも3年ごとに見直します。3年間なにかに打ち込んでいると何かしら極めているかなと思ってます。また、3年後の世界はぜんぜん違う世界が広がっているので、新しく打ち込むことを見つけるには良い時かな思います。

バランス?

難しいのは、ひとつのことに集中させてくれないという時代でもあって、程々の広さで浅く学び、その中で一つ掘り下げる分野を見つけることが必要だったりします。

まとまらないまとめ

時代は流れます。流行はその字が表す通り、はやります。そして、いつか廃れます。

それについていくことは面白いけど、持続可能ではなく、何も身についていないことが多いかなと感じています。

1年〜3年ぐらいのスパンで「今はこれ」というものを見つけて、じっくりと取り組んでみようかと思ってます。